私の空間創造宣言

こんばんは。ディスプレイやながです。

レプトケファルスすごすぎてもはや意味不明ですね。
ひらひらに対しての顔の小ささったら!
口の開きっぱなしがいいですね。
内臓どこですかね。


というわけで、
聴竹居はとっても説得力のある空間に感じました。


その力は藤井氏が自ら実験・研究をして
答えを導いてくことによって得られるものかと思います。


簡単に情報が手に入るご時世、
簡単に誰かの答えを得てばかりな自分に気づかされました。。反省。


そんな中で最も参考になった箇所というと、



玄関入った正面の居室に直接通じる扉です。


これのおかげで住人は客間を通る必要がなくなります。
客人は玄関からすぐ客間へ行くしかなく、
玄関脇にはトイレもあり、
居住空間に侵入することも
ましてやこの扉で閉じられているので、
目に入ることもありません。


2つは同じ空間にありながら、きちんと独立性が生まれています。



ただの動線じゃなくて
住人の動線+客人の動線=同じ空間内の独立性 みたいな感じです。



はい。長くなりましたが、空間の創造に対して私は




「生みだす動線を作ろう!!」




という考えで望みます。


動線を考えるのはモチロンのこと、
ただの動線というわけでなく、そこに+αしていきたいです。


そのためにも
自らで答えを導いていく行為を大切にしたいと思います。


以上です!



⇒teacher

やながさんへ


そうなんだよー
レプトケファルス凄いでしょー!!
餌を食べたら、その餌が見えるんだよね〜?きっと・・・。
どこで消化するんだろう??
色つきの水とか蛍光塗料とかを飲ませてみたいんだよなぁー


・・・と本題へ!
「住人の動線+客人の動線=同じ空間内の独立性」
・・・なかなか良い視点で考えましたね!!
通常、「空間の独立性」という事を考えた時は
“間仕切り”等のハード面に視点が行きがちですが
“ヒトの動き”と空間とをリンクして捉える事が出来たのは
良い経験になったことと思います。

動線」という言葉を聞いた時
学生は得てして「通路」のようなモノをイメージしがちです。
無論、廊下のような通路的な空間は「目的」をベースにしたヒトの動きが明確に存在するので
動線」を捉え易い面があるのでしょうが
多様な「目的」や、逆に「無目的」な動きなど・・・様々な動きが交差する空間こそが
本来は“ヒトの動き”を捉え、考えるべき部分であるはずです。
動線」を“ヒトが通るライン”と考えるのではなく
“ヒトが創り出す可変空間”と捉えられれば
きっとキミが言う
「生みだす動線を作ろう!!」
ってことが出来るのではないかと思います!

いやぁー、こりゃ「構成空間」楽しみだなぁ〜
・・・ハードル上げときましたー^^!