構成空間 最終講評

さて、「構成空間」は如何でしたか?
何となく「空間」を創り出す事の意味合いや、創り出す時の視点などを多少なりとも認識する事が出来たでしょうか?
僅か12回の授業の中に相当詰め込んだので、消化不良を起こしている面もあろうかと思いますが、「空間づくり」の第一歩の講座ですから、まずは、「空間」への新たな興味を持つきっかけになってくれていればと思うと共に、空間を創り出す事の意味合いの一端でも感じ、掴み取ってくれていればと思っています。ほんの一歩でも、自分自身で何か前進した感覚を持って終了してくれた事を期待しています。

遅ればせながら最終課題の感想など・・・。
まずは、お疲れ様でした。他の講座の課題との兼ね合い等もあったでしょうから、たいへんだった事と思います。皆さんが一生懸命に課題作成を行っていた事は十分に理解しているつもりなので、以下については今後大きく飛躍して欲しいと願う故の「激励」と捉えて貰えればと思います。

最終作品としては、全体的に「失速感」を感じてしまったというのが正直なところです。
第1課題から回数を追うごとに順次グレードアップし、第4課題に至る頃はなかなか面白い内容になってきていただけに、どのような作品が出てくるのかと相当期待していたのですが・・・この「失速感」は皆さん自身も感じているのではないでしょうか?
無論、深く考えられている作品や、模型は中途半端であったけど試行錯誤の跡が滲み出ている作品もありましたが、全体の中で占める割合としては少ない印象です。
課題の難解さ、そして作業時間の少なさは織り込み済みの事なので、この最終課題に求めたものは、模型の精度やプレゼンボードの表現以前の問題として、“最終課題として、それまでの課題以上のモノを創り出そう!”という気迫のようなモノが最も求めたところでした。表現的スキルは「伝える」という観点からはひじょうに重要なスキルですが「伝える」モノが無ければどんなに表現的スキルが向上しても意味がありません。キミ達にとって最も重要なモノは中身です。作品が「間に合わせ」になっては意味がありません。時間的に間に合わせる事は最低限のルールとしても、「時間に間に合わせる」事と「作品が間に合わせになる」事は全く異なる事であり、間に合わせる為の作品づくりとなってしまっては本末転倒です。
我々、ものづくりをする者としては、「モノを創り出す」事に関しては、常に前進をしていかなければなりません。特に、それは“創り出すこと”への『拘り』や『執着心』と言った気持ちの部分の前進が重要です。より拘りを持ち、より執着していくからこそ作品の質が上がってくるのであって、“時間”が実力を付けてくれる訳ではないという事は認識しておくべき事でしょう。
3,4課題のグループワークに比べて最終課題で思考の痕跡が希薄ではなかったか?・・・という事を今一度見直してもらいたいところです。

以下にこの課題に込めた思惑を記しておきます。


「生まれくる場、死する場」・・・一見解り易そうな言葉であるが、考えていけばいく程これらの言葉の持つ深い世界に飲み込まれていく言葉でもある。
「何を捉えれば良いのか・・・?」
「どこに視点を合わせれば良いのか・・・?」
「何から考えていけば良いのか・・・?」
実はこのような事は空間を創る上においては多々ある事である。
クライアントの求める漠然としたイメージ、言葉にならない雰囲気・・・陽炎のようにぼんやりと漂うデザインのきっかけを如何に掴み取るかという事が我々に求められるスキルの中のひとつなのである。
その時、言葉を読み解く力と共に、我々には『言葉を展開していく力』が求められる。
その力が無ければ、おそらく「読み解いた」ところで立ち往生してしまうことだろう。
「言葉を展開していく力」とは、言葉を重層的、複合的に捉える事によって、言葉の表面の皮を剥ぎ取りながら、その中にある別の側面を見つけ出したり、裏側にあって見えなかった部分を見つけ出すような・・・閉じられた世界をどんどん広げていき、言葉の中に内存されている隠れた要素を見つけ出す、言わば宝探しのようなものである。デザイン業界で多用されている「ブレインストーミング」等はこれに当るものである。
ひとつの言葉から、様々な方向に想像の枝葉を伸ばしていければ、今認識している世界よりも遥かに多くの世界を展開する事が出来るようになるはずである。

「展開」の次に行う事、それは「言葉の再定義」である。見つけ出した「宝」は初めから明確な姿をしている事は稀である。姿無き言葉、輪郭の無い言葉に“姿を創り出し”“輪郭を形づくる”・・・それが「言葉の再定義」である。
分かり難い言葉、デザイン展開をし難い言葉に、別の姿を形作ることで、そこに新たなデザインの可能性を創り出していくのである。

デザインに行き詰った時には、別の側面からモノゴトを見ていく、それでもダメなら、また別の側面から・・・そのように常に広げていく思考で考えていかなければ、閉じられた世界の中で泳いでいても決して思考の壁を打破する事は出来ないのである。
第3課題、第4課題をグループワークで行わせた事は、時間の関係もさることながら、自分以外の人の思考の結果だけを見るのではなく、思考過程に触れることで互いに刺激し合えれば、視野を広げるきっかけになるであろうとの思いも持っていた。
最終課題に難解な課題を用意していただけに、視野の広がりを持たないと展開が厳しいであろうと予想していた事への予防線でもあったのである。

我々の暮らす世の中は複雑である。空間に限らずデザインというものが「ヒト」或いは「ヒトの生活」をベースに展開されている事は疑う余地もない事であるが、そうであるならば、そこに生み出されるデザインの背景が複雑でないはずがないのである。その複雑混沌としたものをどのように捉えデザインに展開していくかという事が、今後のキミ達に求められるものである。
デザインを決して短絡的に展開してはいけない。元々の背景が複雑なモノなのであるから。その複雑さを読み取っていく事に、デザインの楽しさ、面白さがあるのである。
デザインを決して「形」と思ってはいけない。「形」はデザインの中の表面の部分を担う役割に過ぎない。その表面を支える内部にこそ、そのデザインの真価を問われる土台がある事を認識しておいて欲しい。土台無き「形」など、簡単に潰れてしまうのである。

この講座においては、徹底的に「考える」という事に焦点を当てて課題設定したもりである。基礎造形の訓練から、専門課程に移行する為の助走期間としての基礎体力づくりをしたつもりである。まだまだ伝えたい事はあったのであるが、12回という限られた時間の中では、多くの積み残しがあった事も事実である。
しかし、今後空間を創り出していく為の基本行為の「さわり」は伝えたつもりである。今一度、この講座において行ってきた事を振り返って貰えればと思っています。

「空間の分析」
これは、“空間”というモノを体で覚えていく為に、今後も日常的に行わなければならない事です。

「寸法感覚」
マイスケールを手始めに、自分の感情と寸法の関係を簡単にシミュレーションし寸法計測を行いました。これも、今後日常的に行わなければならない事です。どこかの空間に行った時、その空間の幅や天井高さ等、或いは椅子の奥行き、テーブルの高さ等、可能な限り寸法を意識しながら検証していく姿勢が必要です。

「フィールドワーク」
“まずは見に行ってみよう!”そんな積極性が必要です。実空間から様々なモノを得ようという意思を持たなければ、実力の向上は図れません。

「30分スケッチ」
ほとんどが15分スケッチとなってしまいましたが・・・スケッチ力というのは、空間を思考していく過程で自分自身が想定している空間をまずは自分が認識する為に必要な力となります。

「ダイアグラム」
今後、複雑な課題になればなる程自分の思考も複雑になってきて整理が着き難くなります。ダイアグラムとはプレゼン表現の為の道具ではなく、言わば自分自身の思考を簡潔に整理する為の道具であると認識した方が良いかもしれません。今回は、造形的な思考経過だけをダイアグラム化しましたが、形にならないような思考の部分も含めて、自分自身の思考を整理する上でも、そして他者に自分の思考を伝える上でも必要なスキルとなりますので、意識的に描いていく習慣を付けていきましょう。

「単純操作による形状構築」
デザインを創り出すには、まずは手を動かす事が重要なのですが、どうしても頭でばかり考えがちです。閃かない時には「折る」「曲げる」など、単純操作をし、手を動かしていく事が重要なのです。

「偶発的な造形創出」
偶発的造形創出に「頼る」事はNGだが、「使う」事は頻繁に行われている。場当たり的に偶然性に期待せず、その造形を創り出された時に常にストックしていく姿勢が必要です。

「軸線・視線」
空間の軸線を意識し、ヒトの視線を認識する事は空間づくりの基本的着眼点です。

「連続、積層、減衰」
造形デザインをしていく上で、これらも基本的モチーフとしてよく使用されます。デザイン初歩の段階では、このような視点で創り出すと発想しやすいはずです。

「空間と空間の接合部への認識」
今後、空間を創り出していく上で、ひとつの重要な空間の着眼点となる場所です。「空間を創り出す」とは、言わば「空間を繋げていく」行為です。その接合部はデザインの中枢的存在になる場所でもあります。

「帰宅の友」
これは専門分野以外に目を向けてもらう事を意図し、配布していきました。幅広く、「デザイン分野」に目を向けて欲しいと思っています。



最後に・・・
プレゼンテーション時に質疑が少ない事が気になります。
他の人の案に興味が無いのか、プレゼンテーションを読み取ろうとしていないのか・・・?
空間を創ろうとする者が他の人の空間に興味を抱かないというのは感受性の欠如と言わざるを得ません。学生時代には、「貪欲」と言われる程に空間に興味を抱かねばなりません。それは、実空間のみならず、他の人がどのように考え、どのようにデザイン構築をしていっているのか?という事にまで・・・。
「興味が無い訳ではないのだが、何を質問して良いのかが分からない・・・」
というような意見もあるかもしれません。空間を読み取る力が不十分な状況では質問をし難いという事も分からない訳ではありませんが、「分からないから質問しない」という事と「興味がないから質問しない」という事は“似て非なり”とは言え、結果的に自分に与える影響は同じ事です。今回、「空間」というものへの具体的なアプローチの第一歩を踏み出した中で、「分からない」事は多々あったことでしょう。でも「分からない」事を分かろうとする気持ちが必要です。決して分からない事を恥ずかしがる必要などありません。分からない事が当たり前なのですから。
「この案は、どのような発想から作られているのだろう?」
「先生は、一体何を指摘しているのだろう?」
「この案は良いのだろうか悪いのだろうか?」
・・・
分からない事を積み残せば、次へのステップに大きな障害となるだけです。
また、この「質疑の少なさ」については、制作した側としても自分の案に対しての反省をしなければなりません。如何に第三者に興味を沸かせるかという事が、デザインを創り出す事においては最低限必要な役割でしょう。「興味を沸かせないモノ」では、新たなデザインを創り出す者としての役割を果たしているとは言えません。質問が少ない事は、決して理解をしてくれているのではなく、興味を持ってくれていないと理解しなければなりません。
常に、デザイン、プレゼンパネル、模型、説明内容・・・全てにおいて興味を沸かせるモノを創り出すという気概、これを持ち合せる事が、今後のキミ達にとって最も重要なスキルと言えるかもしれません。

「興味を抱く事」、そして「興味を抱かせる作品を創る事」、その両方の姿勢をこれからの新卒期に更に鍛え上げ、2年生に上がってくる事を期待しています!
少々辛口かもしれませんが、大いなる期待を込めてのエールのつもりです。
お疲れ様でした^^!


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