Louis I Kahnが難解だったので観た映画の話。

おはようございます。
ああ12月が楽しみだ、キムラです。


前回書ききれなかった映画を紹介します。
今回は建築映画としては王道中の王道、『My Architect -A Son's Journey』(2003)
まさに建築映画なんですけど、息子が父親の建築を巡るドキュメンタリー。
写真やCasa BRUTUSでは感じられない、ESCOLAの建築系DVDとも違う
Louis I Kahnがいっぱい。
これが日本で公開された時、私はあんまりカーンが好きではなかったし
今でもそんなに好みではないんですけど、大画面で観れば
彼の建築がちょっとでも分かる気がして行ってみたんですが
とりあえず、この映画で
Phillips Exeter Academy Libraryだけは見直した記憶があります。


この天井がドーム天井でもないのに、神聖な感じがして、すごく吸い込まれる。
光の入れ方がよくわかる。映像の切り取り方でもあるんだろうけど、
この交差したコンクリートが単純に、カッコいいなー。


面白かったのは、冒頭のPhilip Johnsonの偉大な建築家への評価。劇場でもまわりの人たちが何人かウケていた。
(建築オタクの人だと思う。
 何にウケてるのか当時の私にも、一緒に観ていた建築好きの友人もよくわからなかったし…。)
あと喋るI. M. PeiとFrank O. Gehryですかね。
他にも本でしか見ないような人たちが出てくるんですけど、単に個人的に好きな人たちです(笑


なんでKahnの建築が好きじゃないかといわれれば、現物はみたことがないので
本と映像だけの印象だけですけど、巨大な記念碑みたいで、なんだか怖い…。
住宅はちょっと別にして。

この時代の建築家は、堂々と“artist”と呼ばれていて
確かに、Kahnはartistだと思う。
しかし再三再四、学校で「デザイナーはアーティストではない」と言われながら
私にはこの明確な違いがどこにあるのか考えてしまう。
前回の映画に使われた、CDGなどの空港という巨大な建築物は
芸術作品ではない。
機能性の度合い、なのかもしれないけど
それだけじゃ正確ではない気がする。


正直、結論があるわけではないです。


映画の中での主題は
彼の嫁以外に子供を生ませる人生とか、死に方とか、監督のお母さんの台詞とか
ドラマチックなところ、巨匠が一人の人間である部分なんですが
私にはあまり関心が無くて、建築に対する考え方が一番知りたかった。
彼のフィラデルフィアの都市計画に対する夢が、意外に感動的だった。
再開発を語るおじいちゃん(Edmund Bacon)が「より大きなスケールでシステムでを作り出せない馬鹿ばっかり」
みたいにこき下ろす理屈もよくわかるんですが。



ただ、The parliament of Bangladesh(バングラディシュ国会議事堂)に関して
Shamsul Waresって建築家の人が涙ながらに語る、
現地の労働者の人が『national image』だと評する、
そんな『建築』が出来ることが凄いなぁと感心する次第です。
それこそが、『建築』っていう力なんだと思うんです。



久しぶりにこの映画のDVDを出してきて、ざっと観たけれど
でもやっぱりこの外観は…そんなに好きじゃない。
なんだろう、お城の切り絵のフレームみたいにも見える。
といいつつ、
Kimbell art museumのシーンで、第九の第四楽章がBGMとして使われるのですが
私のLouis Kahnに対するテーマ曲はGershwinです。
Rhapsody in Blueとか管弦楽とか。
そう思う段階で、結構好きなのかもしれない。
彼について書かれた本で、brutalismを“野獣派(主義)”と訳してあると
その表現は違う、と思うくらいには好きになっている。
(分かりにくい表現ですね)
でも、彼の講義の哲学的というか抽象的な話は
建築と同じくらい、分かりにくかった。


大物建築映画ばっかりもあれなので、
次回は傾向をちょっと変えようかと思案中。
キムラでした。


⇒teacher
いやー、よくまあマニアックな映画を知っているねぇー^^!
もう、何年前になるのかなぁ〜?僕も京都の小さな劇場に見に行きました!
今の時代の綺麗でゆったりとした映画館とは異なり
昭和初期の時代にタイムスリップしたかのような昔ながらの小さな映画館で・・・
その空間が、また何とも言えずこの映画が醸し出す哀愁にリンクしていたんだよねー!



デザイナーとアーティストの違い・・・これは確かに難しいところなんだけど
デザインの世界でも、大御所になれば
「デザイナーであり、アーチストであり・・・」と称される訳で
建築の世界でも、有名建築家に対しては“アーティスト”という言い方は
ごくごく普通になされているので
「デザイナーはアーティストではない!」
という言い方は、一義的に捉えると間違いではあるのだけど・・・。
我々、皆さんを指導する側の立場としては
まずは、地に足を付けた思考を行ってもらいたいという意図で
このような言い方をしているのです。
例えば建築の世界で「アーティスト」という言い方をしても
その業界の人間は、この言葉に対し純粋なる「芸術家」という理解の仕方はしません。
そこには、理論・理屈の元に思考された建築計画と、美しさを兼ね備えたデザインの融合に対し
「まるで芸術家のような」という意味を込めてアーティストと呼んでいる訳です。
要するに、絵画の世界のアーティストと建築の世界のアーティストは少々捉え方が異なるのですが、共にひとくくりに「アーティスト」と呼んでしまっているのです。
この複合的な意味合いに対して言葉だけが独り歩きをした時、
若いキミ達の中には絵画の世界のような「芸術」そのものであると捉えてしまう人もいるのです。
そうなってしまった時、そこにはもはや理論・理屈の世界は介在する余地が無くなり
感性だけの世界となってしまう危険をはらんでいる訳です。
しかし「デザイン」は、感性だけで語る事は出来ず
やはり理論・理屈も重要な要素ですから
その点を踏まえて、きちんとした下地を作ってもらう為に
「デザイナーはアーティストではない!」
という言い方をしている訳です。



いずれにしても、どのデザイン業界でも
「アーティスト」と呼ばれる人達は
社会的にある程度のステイタスを持った人達であり
単に、デザインを行っている人に対してそのような言い方はしないでしょ?
そう考えれば
「デザイナーはアーティストではない!」
という言葉も、まんざら嘘ではないんじゃないかなぁ〜?


しかし、カーンの建築にテーマ曲までイメージ出来ちゃうなんて
やっぱりキミはただモノじゃないねー^^;