課題1〜4の総括!

せっかく「つぐみのドイツ留学日記」がアップされているのだけど
最終の試験週に入ったので、今までの課題1〜4の総括を記載しておきたいと思います!
1〜3については、先日配布したモノに加筆していますので
再度読んでおいて下さい!
本当は皆の作品がアップされた後から・・・と思っていたんだけどね・・・。




ちょーーーーーーっと長くなるので「つぐみ日記」を邪魔してしまうけど
これ読んだ後で、そちらも宜しくー!

ほんとに長いぞーー!


《課題−1総括》

 10月28日課題文アップ

『創造社の中庭に学生と教員が集う休憩スペースを2案創り出しなさい』
「軸線」「視線」というキーワードは、各々「空間」と「ヒト」に適用される言葉である。
従ってこの課題は、「空間を主役としたアプローチ」と「ヒトを主役としたアプローチ」と解釈しても良いのかもしれない。無論、主役が引き立つには脇役の存在が不可欠であり、主役のみに照準を合わせても、決して良い作品にはならない事は当然の事であろう。そのバランスが、デザインのひとつの指標となる事は間違いない。この課題においては、おそらく自然に「空間」と「ヒト」にデザインの拠り所を求めいたはずである。
そういう意味で、命題に対しアプローチしていく上で、言葉を読み取り(解釈し)、そこから展開させていく流れを掴む為の練習課題とも言える。
また、この課題における造形操作として“線と面”からのスタートをベースに、“折る”“伸ばす”“丸める”等の単純操作により空間を作り出す事を指示しているが、これは、単調な図形の変化をベースにする事で、ダイアグラムを作成する練習の為の素材としての意味合いと共に、以下のような意図を含んでいる。
本来、デザインという行為は偶発的な造形を期待すべきモノではない。コンセプトを元にある意図を持って形づくる事がデザインの本質であるから、そこには「偶然」という言葉は存在しないはずである・・・しかし、現実的には日常の何気ない行為から創り出される偶発的な造形形態には、デザインの種となるモノが数多く存在しており、実社会においても、これらの造形を元にデザインが展開される事は決して珍しい事ではない。ただし、前述で「・・・期待すべきモノではない」と記載した通り、これらは、“その時に創り出すべきものではない”という事である。日常に潜むこれら偶発的な造形に目を向け、注視し、そしてその情報をストックしていく習慣を付けていく事が重要であり、そのストックが各自のデザイン力の糧となってくれるのである。何気なく紙を折っていった時に生まれる形や、ごみ箱に捨てようとクシュクシュと丸めた時の形、割りばしの袋を折って創った箸置き、ペットボトルを潰した時の形、本を積み上げた時の不安定な形・・・単純な操作(行為)から幾らでもデザインの元は生み出されているのであるが、その宝の山をみすみす見逃しているのが現状である。「デザイン」という言葉を聞くと、どうしても“とてつもなく凄い事”をしないとデザインと言わないのではないか?と気負いがちである。しかし、単純な中にも形づくるネタがある事に気付いて欲しいと思っている。今回の「単純操作」による造形創出は、そのきっかけづくりの場に思考を誘引する為のスタディー行為でもある。


《課題−2総括》

 11月2日課題文アップ
『創造社の中庭に学生の為のギャラリー&カフェ空間を創り出しなさい』

「空間」を創り上げる場合、単一要素(※“住宅”、“店舗”・・・等と言う「用途」とは異なる)の空間を創る事は稀であり、大小の別はあれ、そこには必ず何らかの異空間が同居するものである。
例えば住宅を見てみると、リビング、ダイニング、キッチン、寝室、トイレ、洗面所、浴室、玄関等、これらは全て異なる要素であるし、飲食店舗を見てみると、店舗ファサード部、待合、客席(喫煙席)、客席(禁煙席)、厨房、トイレ、従業員控室等も全て異なる要素である。
この異空間同志を、“どのように繋げ・・・”“どのように切り離すか・・・”という事が、言わば「プランニング」の骨格と言っても過言ではない。無論、これらは常に個々が「明快な存在感」を有して存在しているものばかりではなく、時には互いが混ざり合い融合しながら、時には完全に同一化し一体となって存在しているモノも多々あるのだが、その場合でもそこには各々の要素が存在している事には変わりない。

我々「空間を創る者」にとっては、この個々の要素をきちんと個別の空間として認識した上で、初期段階においては、それらを空間の大小に関わらず優先順位を付けない思考・・・言わば全ての空間を“ニュートラル”に同一線上に捉える視点が重要である。
無論実際には、例えば住空間においてはリビング・ダイニング等、家族が集まる場所が主役であり、店舗であればお客様が利用するゾーンが主役である場合が大半である事は否めないが、始めからそのような固定観念で空間を捉える事は正しいアプローチとは言い難い。
「玄関は、“単なる家の入口”ではない」し、「廊下は、“単なる部屋と部屋を結ぶ通路”ではない。」
「玄関は住宅の顔」であり、「廊下は空間と空間を繋ぐ第三の部屋」であり、決してリビングやダイニング等の主役と思われがちな空間の従属的空間という訳ではない・・・という事である。
各々には各々の役割があり、各々がその役割を的確に果たした時、その住宅なり店舗なりは、適正な空間として存在するのである。
この事を認識しない段階において、空間に勝手に優先順位を付ける事は「プランニング」を稚拙なモノとしてしまうであろう。
得てして、空間にメリハリを付ける事と優先順位を付けるという事を混在しがちであるが、両者は別次元の事であるという事も付け加えておきたい。
「メリハリ」については、また別講座にて・・・。

この課題においては2つの空間をまずは同格に捉える事からスタートをしたと思う。
大きな空間を仕切って2つの空間を創出させたのではなく、2つの空間を何らかの形で「接合」させる事で空間を創出したと思うが、「仕切る」という創り方ではなく、個々を繋げて行くという思考が、今後空間を創り出す時には絶対的に必要な思考である事をまずは覚えておいて欲しいところである。「繋げる」という時点で、各々の空間は既に意識の中で別々に存在をしているという事であるから・・・。
未熟な段階での「仕切る」という行為は、別々の空間を意識することなく、「仕切る」行為で新たな場を生み出す事になってしまいがちであり、それはおそらく主たる空間がベースにあり、そこから従属する空間を分離する・切り離す行為であり、その時点で既に自分の中に空間の優先順位が規定されているという事なのである。空間創りに慣れてくれば、分離する・切り離すというやり方でも方向性を間違える事はないが、空間創りの初期段階においては、互いの空間を同格に扱い、「繋げる」という意思が必要なのであり、そうしなければ、空間をパズル的に仕切る思考に陥ってしまう事となる。それは決してプランニングとは言わない・・・!
実社会に出れば、空間を創る際には、「仕切る」という事を行っていかなければならない時も多々あるが、その時でも、“繋げる”思考の元での仕切る行為が必要という事であり、その思考を育てる為の課題設定である。
ただし、くれぐれも誤解の無いように付け加えておくと、これは単に空間を繋げていけば良いと言っているのではなく、まずは繋げる上での思想、そしてその繋げた後の造形的処理に至る一連の流れをもって、初めて「繋げる」という行為が成立するという事!この事はきちんと認識をしておいてもらいたいところである。
また、この課題の狙いとしてのもうひとつの側面が、「繋げる接合面」に対する認識である。この接合面(接合空間)は、空間創りにおいてはひとつの醍醐味であり、魅せ場でもある。文化でも音楽でも絵画・芸術に至るまで、異質なモノがぶつかり合う時、そこには新たなモノが生まれくる土壌があるように、今回の異空間がぶつかり合う場所も第三の空間が創られる可能性を秘めた場所という事である。この“第三の場所”というのは、必ずしも姿あるモノとは限らない。しかし、ふたつの場を結び、ふたつの場を分け・・・その両義性を持った場は重層的な意味合いを有した貴重な場であるという事を是非とも認識しておいて欲しいところである。
この空間が持つポテンシャルを理解し、発展・展開させていく事が2年次になれば求められてくるのである。


《課題−3総括》

 11月5日課題文アップ
大阪駅構内、又は大阪駅前に以下の2つの場を各々創り出しなさい』
  ■待ち合わせしやすい場所
  ■休憩しやすい場所

フィールドワークによるリサーチ結果を踏まえ、「待ち合わせしやすい場所」「休憩しやすい場所」を創り出す課題である。
「待ち合わせする場所」「休憩する場所」・・・では無く、「〜しやすい場所」であるという点がポイントである。
空間を単なる「場」と捉えることなく、「そこに居るヒト」「使うヒト」という存在と併せて考える事で、場の持つ4次元性(時間軸を加えた3次元)を顕著に考え出す練習課題である。ヒトの存在を意識すれば、そこには必ず時間の流れを意識する事となるであろう。歩くヒト、留まるヒト、座るヒト、話すヒト・・・この人達が、どのように動いていくのか時間軸の流れに沿って考える事で、そこに要求される場の特性というものが見えてくるのである。
課題−1,2共に「ヒト」の存在はあったはずであるが、そこに居たヒトが“動いている”様子が感じられる案は少数であった。あくまでも「ヒトが居る」というだけの、“静止しているヒト”であったように感じる。これらの課題は「ヒト」に意識を向ける事よりも、空間を創り出す入門編として、まずは「場」を創り出す事に重きを置いた課題設定とした表れでもある。実際に、皆さんもまずは「場」を創り出す事に精一杯であった事だろう。そこでヒトがどのように動き、どのような姿勢でいるのか?という事は、まるで静止画を見るような感覚でしか伝わってこなかった案が多数であった。ただし、これは第1、第2課題としては全く問題無い事である。初めから想定済みの課題設定だからである。
しかし、この第3課題においては明確に「ヒトの行為」の背景にある「感情」面を付加する事で、4次元的思考を示唆する課題として提示したつもりであり、前2課題に比べると、明らかにヒトの動きを意識した案が求められる。この第3課題でも静止画となってはいけない。
ヒトが動く時は、そこには必ず「感情」が伴うのである。楽しい、嬉しい、心地良い、不快な・・・これらは単調な感情だけでなく、もっと様々な感情が入り混じりながら行動が起こされるのである。例えば友人と待ち合わせをした時、そこに近づくと共に「どこに居るかなぁ?」等と考えながら相手を探すのではないだろうか?そして、そこに待ち合わせ相手を見つけられなければ「まだ来ていないのかな?」「どこで待とうかなぁ、見つけやすそうな場所の方が良いかなぁ〜」「この柱の後ろじゃ、あちらから来たら見えないかな?」更に時間が経てば「あれ?待ち合わせ場所を間違えたかな?」・・・等と。そして、この感情も友人の場合と恋人の場合とでは異なるであろうし、待ち合わせの目的によっても異なるであろう。無論、これらの感情とて、一律のものではなく、個人個人で様々であるが、この「様々」な感情を如何に最大公約数的に捉え、展開していけるかがポイントとなってくるのである。その為には、やはりニュートラルに人を見る目が必要であり特殊な感覚は特殊な事例を除けば必要ないのである。
要するに、日頃から自分自身の感覚を一般の感覚に同調出来るようにしておく事はデザイン業界に携わる者としては絶対的に必要なスキルである。“一般感覚との同調”と“一般的なデザイン”とは意味合いが異なる事は理解しておいて欲しい。より刺激的で、より前衛的で、より未来的なデザインを追求する事に異論はないところである。しかしそれらは一般感覚に同調出来るからこそ、その感覚を超えたデザインを提示出来るのであって、かっこいいデザイン、綺麗なデザインが一般感覚というベースの上に組み立てられるものである事は、将来的に独りよがりのデザインを行わない為にも認識しておくべきことであろう。
本題に戻すと・・・我々は、ヒトの感情を考える事でヒトの動きの流れを捉えやすくなり、空間を創り出すという行為が「3次元の場」を創り出す事ではなく、「4次元の場」を創り出す事だという事に気付いていくのである。
時空間の中でヒトが何を考え、何を感じ、何を欲するのか・・・という事を考えながら場に転換していく思考が固まってくれば、そこに創り出される空間は「真の空間」と成り得るのである。
また、この課題においてはフィールドワークが重要なポイントであった。ヒトの感情を考慮しながら実際の空間を見て、感じて、考え、判断し、そして創り出す・・・この一連の流れは実空間を創る上での姿勢を示唆したモノである。頭だけで考える事は決して正しい思考方法ではない。常に実空間と連動させながら思考をしていく事、分からなければ実際の空間に置き換えられそうな場を探して見に行く、そしてその場の特性を考える・・・この繰り返しが空間をよりリアルに創り出せるベースを創り上げてくれる。これを習慣づける為にも是非とも日常的に接する空間に対しても常に色々な事を感じ、分析する視点を持って接するようにして欲しいものである・・・それが大切なのである。
場を4次元に捉えるこの第3課題が、実質的な「空間創り」の第一歩とも言える課題である。


《課題−4総括》

 11月11日課題文アップ
大阪駅構内、又は大阪駅前に以下の3つの場をそれぞれ創り出しなさい』
  ■気兼ねなく携帯電話を掛けられる場所
  ■気兼ねなく飲み物を飲める場所
  ■気兼ねなくお弁当を食べられる場所

複合的な与条件に対応する課題である。「与条件」とは、「ある種の規制」と言い換える事が出来るかもしれない。
今までの課題でも、一見すると与条件は複合的に見えていたかもしれない。
第一課題においては「休憩」という機能に対し「軸線」「視線」という追加条件が与えられ、第二課題においては「カフェ」と「ギャラリー」という用途に対して「接続させる」という命題が与えられ、第三課題においては「待ち合わせ」「休憩」という機能に「形態の単純操作からの造形創出」という与条件が付加され・・・しかし思い出してもらえば、これらの付加された与条件は形態を生み出す上で、ある種の方向性を示唆してくれる、言わばサポートの役割を果たしてくれてはいなかっただろうか?もしこれら付加された与条件が無く、単に“「休憩スペース」や「カフェ空間」を創りなさい”と言われたならば、おそらく形を生み出すきっかけを見つける事に苦労したのではないだろうか?
従って今までの課題は、実質的には用途のみが与えられた単体条件の元での作業と言っても過言ではないのである。

しかし今回の課題は「気兼ねなく携帯電話を掛けられる場所」「気兼ねなく飲み物を飲める場所」「気兼ねなくお弁当を食べられる場所」の3つの用途と共に、形態を創り出すキーワードとして「連続」「積層」「減衰」の3語が与えられた。一見すると第1課題に近いようであるが、第1課題を紐解いてみると、「休憩」という用途をベースに考える・・・というよりも、「軸線を意識した空間を創り」「視線を意識した空間を創り」、そこに「休憩」という機能を組み込んだというのが正直なところではないだろうか?これは「休憩」という幅広く解釈を出来る用途であるからこそ可能な手法であり、実質的には「軸線」と「視線」を創り出せば、どのようにでも理由付けする事が出来た訳である。

しかし第4課題は、決して「連続を意識した空間を創りなさい」ではないし「積層を意識した空間を創りなさい」でもなく「減衰を意識した空間を創りなさい」という訳でもない。あくまでも創り出すのは「気兼ねなく携帯を掛けられる場所」であり「気兼ねなく飲み物を飲める場所」であり「気兼ねなくお弁当を食べられる場所」である。第1課題で付加された言葉と今回のキーワードとの決定的な違いはそこにある。
要するに、「積層」「連続」「衰退」という形を創り出しても、それは「携帯電話を掛ける場所」「飲み物を飲む場所」「お弁当を食べる場所」には直接的には結び付けられないのである。

第3課題において、初めて実質的な4次元空間への思考を誘導してきた。ヒトの感情をベースに、ヒトの動き・流れを捉える課題であった。そのような意味では、今回も共通の意図を持った課題である事は課題説明時に伝えた通りである。では、前回の課題との差異は何か?
今回の課題のメインキーワードである「気兼ねなく・・・」という言葉は、今の時代においては「死語」になりつつある言葉でもある。道に座り、階段に座り、どこででも携帯電話で喋り、そして食生活もファーストフード化し、飲み物を持ち歩き、食べ物を持ち歩き・・・と。このような生活スタイルの中に「気兼ねなく・・・」という言葉は異質な存在と言えるかもしれない。しかし我々空間を創り出す者達は、空間創りにおいては常に気遣いが必要である。気遣いとは、相手を思いやる気持ちである。相手の些細な行動、気持ちまでも捉えていこうという意思である。
「気兼ねなく・・・」という今回の命題は、自分以外の第三者が“気兼ねなく”行動出来る状況を創り出してあげようと思う“思いやりの具現化”なのである。その時、第3課題に比べ、遥かに相手(設定された行為を行う人のみならず、その周りの不特定多数の第三者も含む)の気持ちに没入出来るか・・・自分の中に他人を投影出来るかが問われた課題である。
第3課題においても「感情」の移入を目標にしつつも、現実的には「ヒトを動かす」という面において、第1、第2課題の静止画的だったヒトを、動画的に変える事が出来れば実質目標はクリアであった。
しかし、この「気兼ねなく」という言葉には、ヒトが単に動けば良いという訳ではなく、動く上での「感情」を捉える事が必要条件であった。

これらを前提とした上で、今回の作品の総括を行うと・・・
造形処理においては、各班共に予想以上の作品を創り出してくれたと思っており、その点に関しては素直に「素晴らしい!」と思っている。1年生の今の段階で、これだけ思考を形に落とし込めるというのは驚きであり、嬉しい誤算でもある。
せっかくこれだけの事が出来るのであるからこそ、よりハードルを上げていきたいとの思惑を持って指摘をしておきたい。

まずは複合的条件を被せながらのデザイン操作は、やはり的が絞り難かったのであろうという感じである・・・創り上げられた作品を見ると、どうしても全体的に造形キーワードに引っ張られた感が否めないというのが率直なところである。
“デザイン”である以上、当然の事ながら“造形処理”は重要である。しかし、今回の課題が何を創り出すべきものなのか?という『中心軸』を見極めた上で課題に取り組む姿勢も重要なのである。
今後、様々な複合的条件の元で課題を解いたり、コンペ作品を創り出したり・・・という事が必要となってくるが、その時にまず中心軸(主題)は何であるのか?という事の判断を行う事からスタートすべきであろう。何を創るべきなのか?どこに焦点を合せるべきなのか?何がポイントとなるのか・・・?
自分自身が創り出すモノが、一体“何を伝えたい”と考えているのか?という事が不明慮になれば、そのデザインは如何に造形力に優れていても意味が無いものとなってしまう。
逆に、“伝えたい事”が明確であれば、それ以外の部分が多少不明瞭でもデザインとしての評価は高くなる。その「伝えたい事」というのが、いわゆるコンセプトと称されるモノであるが、創るモノの中心軸を捉えた上でなければ、この「伝えたい事」の役割は果たせないのである。「伝えたい事」と言うよりも「伝えるべき事」と言い換えた方が役割としては分かり易いかもしれない。

今回の課題はどうだろうか・・・?当然ながら「気兼ねなく・・・」という点が中心軸となるべきポイントで、決して「造形キーワード」が中心軸ではないという事に関しては疑う余地はないであろう。この中心軸がぶれると「伝えるべき事」は、その役割を十分に果たせなくなる。
各班共に、決して「気兼ねなく・・・」というキーワードに注視していなかった訳ではない事は分かるが、デザインを展開していく過程で、そこが徐々に薄れていった感がある。
それが前述の「造形キーワードに引っ張られた感がある」という事である。
イデアコンペ等は、「非日常」「非現実」が許容される場合もあるので、それら特殊なモノは別として、通常、空間デザインを行うという行為は、実際の空間として創り上げられた場合の機能性や利便性等のリアルな目線も持ち合わせなければならない。「より現実的に、よりリアルに・・・」等と面白くない事を言うつもりは毛頭無いし、どちらかと言えば、より刺激的で前衛的な造形を生み出してもらいたいと思っている。また場合によっては機能よりも造形の方が優先する事を推奨するような考え方を自分自身では持っているつもりなので、その点に対する許容値は結構高い方であるとは思っているのだが、「造形に引っ張られ過ぎる事はデザインの本質ではない」という事も、敢えてこのタイミングで伝えておきたいと思う。我々の役割は「思考を元に“造形を引っ張る”事である!」

最後にもうひとつ付け加えておくならば
「デザインは大胆であればある程、繊細さが要求されるものである。」
という事である。
「大きな視点」と「小さな視点」という言われ方もするのだが、デザインは全体像を創り上げる「大きな視点」での思考に加え、細部に目を向け、細かく考え、検討していく「小さな視点」の両面が必要なのである。学生は、とかく「大きな視点」にばかり注目しがちであるが、実はこの「小さな視点」がデザインの質を大きく左右する要素なのである。
例えば、携帯電話を買う時に、はじめはディスプレイ棚に並ぶ多くの機種から自分のデザイン嗜好に合いそうなモノを数点セレクトするが、その時点では細部のデザインよりも、全体的なフォルムや雰囲気で選び出しているであろう。そして選び出された幾つかの機種を、今度は機能性や使い勝手、そして細部に至るデザイン等をチェックした後、最終決定をするのではないだろうか?フォルムや雰囲気は良かったのだが、いざ手に取ってみると、妙に安っぽかったり、使い勝手が悪かったり・・・というような経験は皆がしているのではないかと思う。空間とて同じ事である。

今回各班が創り出した造形は本当に良いモノであった。この造形自体を否定するつもりは毛頭無いので、その点は誤解の無いように!それどころか、もっともっと刺激的な造形を追求していってもらいたいと思っている。ただし、この造形力を更に発展させる上で、是非とも小さな視点を持ちつつ展開させていく事も頭の片隅に置いていて欲しいと願っている。
そして、そのような事に意識を向かわせて行くには、常にヒトの「感情」を読み取り、考え、模索し、それを空間に反映させようと考える意識が必要であるという事を覚えておいて欲しい。「デザイン」とはどうしても「形」に注視しがちであるが、あくまでも「デザインとは思考の具現化」なのである。・・・という事は、デザインの本質は「思考」だという事である。形に表れるモノもあれば、形に表れないモノもある。目立つモノもあれば目立たないモノもある。意味がありそうな形にも実は中身がなかったり、一見意味の無さそうな形に実は大きな意味があったり・・・「形」だけでは計り知れない奥底の「思考」があるからこそ、デザインは難しく且つ面白いのである。
「思考」の行先は常に「ヒト」であらねばならない。デザインを展開するとは、ぶれる事の無い中心軸をベースに「ヒトを思う思考」の展開と言っても過言ではない。常に「ヒト」を考える事!それが空間を創る上での「相手(自分以外のヒト)」に対する気遣いなのだ!
ここでは是非ともその事を学び取って欲しいと思っている。


ふー長かった^^;

teacher